捨てる意味

先週末、仕事を終えて久しぶりに実家に泊まりました。
諸事情により実家を売却したので
片付けの手伝いです。
30年以上住んでいた家一軒分の片付けは
想像を絶するものがあります。
一昨年も義姉の引越しを手伝いましたが、
マンションの一部屋分なのに、
大人3人がかりで片付けに一ヶ月以上かかりました。
毎回何が大変かというと
「捨てる」ことです。
毎回引越しに関わって感じることは
持ち物の8割は不用品だということです。
本当に必要なものだけを選ぶと
驚くほど少ないものです。
先月から父が一人で片付けを始めていますが、
とにかくゴミ出しに苦労しているようです。
大型家具の解体、ひたすら電ノコで切り刻んでいます
布団類、使わなくなった電化製品の数々、
最近はゴミのルールも厳しくなっているので本当に大変です。
昨日は私の私物を整理しました。
洋服類は全捨て、着物は旅館に嫁いだ従姉妹にすべてあげました
結婚する以前の大量のアルバムも思い出の写真だけ数枚抜いて、
あとは全部捨てました。
卒業アルバムも文集も全捨てです。
必要になったら友人に借ります(笑)
捨てるに当たって、すべての写真をひと通り見たのでもういいです。
大学時代の6年間のアルバムは「旅行」と「飲み会」のふざけた写真ばかりでした
人生でももっとも無責任に楽しく生きていた時代、
主人や息子には決して見せられない写真の数々・・・(笑)
我ながら呆れました
学生時代のテスト結果や通知表、
息子に見られては大変なのでこれらもさっさと捨てました(笑)
賞状もメダルも全捨てです。
過去の栄光は忘れます。
未来の栄光を望みます(笑)
「本当にこんなに全部捨てちゃうのか?」
と父に驚かれましたが、いいんです。
すべての思い出は私の記憶と細胞にちゃんと焼き付いています。
今の「私自身」が過去のすべての「証」です。
父一人ではできない食器の整理もしました。
今後父が一人で使う食器だけを残してあとは全捨てしました。
食器を片付けながら、
昔母が作ってくれた料理の数々が蘇ってきました。
捨てながら
幸せに過ごした子ども時代に感謝の気持ちが湧き上がってきます。
父はかなり寂しい想いで片付けをしているようですが、
私は非情なのか(?)まったく「寂しさ」はありません。
「これからお前の帰る場所がなくなって寂しくないか」と兄は気遣ってくれますが、
主人と結婚した時点で帰る場所はないと思っていましたから何ともないです。
今後の宿泊は従姉妹の有名旅館がありますから問題ありません(笑)
「捨てる」ことは寂しいことでも悲しいことでもなくて
過去に感謝すること、心新たに明日を生きることなのだと思います。
残す物を選びながら捨てられるのは幸せです。
津波ですべてを流されてしまった方々は、
選ぶことも感謝する時間さえも与えられなかったのですから。
今月末は主人も一緒に出かけ、片付けを手伝います。
みんなでひたすら捨てます。
「ありがとう」の気持ちを添えて・・・
↓ 実家近くの有名店「とろろ茶屋」
 ガッツリ食べて片付けガンバリマス^^
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