ある裁判のゆくえ

ブログで社会や政治について語ることはなるべく避けているのですが、
今日の「光市母子殺人事件」の最高裁の判決を聞いてようやくホッとしました。
この事件当時、23歳という若さでありながら本村氏の常に毅然とした態度、
インタビューでは毎回自分の言葉で話し、論理的、また一見過激にも思える鮮烈な言葉で
心の奥深くに響く弁舌は見事で、以来ずっと心の中で彼を応援し続けていました。
愛する妻と子供を失った怒りと悲しみを司法の高い壁にぶつけ、
挑み続けた勇気と社会を変えた功績に心から拍手をしたいと思います。
23歳からの13年間、本来人間として男盛りで人生を謳歌する年齢だったはずの彼は、
どれだけの悲しみと孤独と闘ったことでしょう。
お子さんも生きていれば中学生、娘さんの成長を目を細めながら楽しんでいたはずの人生。
この10年で司法は随分変わりました。
こういう表現は誤解を招くかもしれませんが、
司法の歴史や不条理を変えるために偶然選ばれてしまった人なのかもしれません。
今回の判決が出ても二人は帰ってきません。
「満足しているが、うれしいとかはない」と語った本村さんの心中を察します。
亡くなられた奥様もお子さんもきっと天国で喜んでいる(勇気ある本村さんに感謝している)と私は想像します。
以前、「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)というこの事件をテーマにした本を読んだことがありますが、
愛する妻と我が子のために愛と信念を貫くその姿は本当に感銘を受けました。
数年前、(現)死刑囚の弁護人というヘンな弁護団が、
素人の私でさえ「そんな馬鹿な!わざとらしい」と思える弁護や釈明をしていました。
世の中の憧れの職業のひとつである「弁護士」とはこういう人たちなのか?と怒りを覚えました。
息子のスクールメイトにも弁護士目指して勉強している友人がいます。
前述の弁護士でなく、本村さんのような人たちを応援したり支えていける正義感のある弁護士を目指してほしいです。
本村さんの心の傷は一生癒えないでしょう。
でも、私は彼の今後の幸せを心から祈りたいと思います。

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